2025年1月20日

前回のコラムで、仲間の成功をサポートする、の成長段階として大きく三つ、
· 第一段階: 自分の役割を理解し、職責を遂行する
· 第二段階: 自分よりも経験の浅い部下などに仕事のやり方を教えてあげる
· 第三段階: 自分の仕事以上に上司の仕事をサポート出来るようになる
を挙げました。おおよそ、このようにして社会人は成長していくものだと思いますし、第三段階まで至れば、次のキャリアパスへとつながっていくものかと思います。しかし、このチームワークが文化として醸成されている組織は意外に少ないように感じます。
チームワークを阻害する要因は色々とあるかと思いますが、一番大きいのはやはり政治的な思惑が要因では無いでしょうか。例えば、「上司に手柄を横取りされるのではないか」「同僚の方が先に出世してしまうのではないか」「部下が自分より仕事が出来るようになったら自分の立場がなくなってしまうのではないか」など、おそらく、皆さんも一度はこのような考えが頭をよぎったことがあるかと思います。私自身、前職の時にはトップマネジメントの方が「この会社は政治結社だよ」と揶揄していたほど、政治的な立ち居振る舞いが出来ることが大事だとされていました。
前職で入社6,7年目の頃、私はマネージャーとして問題なく仕事をしていました。技術肌の人間だったので、難解な仕事ほど好んでやっていました。技術の上達と同時にプロジェクトの管理もそこそこ上手になり、悪名高い会計事務所の繁忙期でも遅くとも9時頃には家路についていたと思います。
私は当時マネージャーでしたが、組織には私の4,5年ほど先輩にあたるシニアマネージャーが二人いて、繁忙期ともなれば毎日真夜中まで働いていました。大変そうだなと思う一方、自業自得だなと思う気持ちもありました。二人とも、デスクの上に雑然と置かれた紙の山に埋もれて仕事をしていて、そもそも仕事自体が整理されていないのでは無いかと思われました。また、本来であれば繁忙期が始まる前に前年度に問題があった点を確認し、改善案をお客様と話し合っておくなど、問題の芽を摘んでおくべきなのですが、それもなされていないようでした。結果、対応が後手に回り、元から忙しい時期だというのに更に仕事が増え、同じチームのスタッフにも、土壇場で追加資料を要求されるお客様にも、負担が掛かっているようでした。
「問題が起きる前に手を打つのが一流」であり、問題が起きてから緊急対応を始めるのは三流です。私は、先輩ながら仕事の進め方を理解していないのかな、と思いつつもほったらかして、自分は早く退社していました。私自身、繁忙期が来れば、一日10時間超働いていましたし、先輩がたが私より仕事が出来ない方が、社内での私の認知度や名声は高まっていくと感じ、自分は政治的に上手に立ち回っていると思っていました。
しかし、そのせこくて小賢しい私のマインドセットこそが、私がその会社でリーダーにならなかった最大の要因であったと今は気づいています。
大体、誰でも自分にメリットがあると思う時は、他人のサポートをしようと積極的に動くものです。自分のプロジェクトに入っている部下をサポートするのは、ほぼどの上司でもやることですが、それは自分のプロジェクトがスムーズに終わるという見返りがあるからもと言えます。また、自分の時間に余裕がある時に仲間の仕事を手伝うことは、難しいことではありません。自分に痛みがある訳では無いからです。
私が先輩がたをサポートしなかったのは、「個人的にメリットが無いと思ったから」でした。つまり、完全に自己都合であり、先輩がた、下にいるスタッフやお客様のことを考えて行動をしていた訳ではありませんでした。そして、心の片隅に罪悪感を感じながらも、自分も既に10時間超働いているじゃないかと、自身に言い訳もしていました。
結局、そのせこい根性が、私を「どこにでもいるちょっと仕事が出来るだけの人」におとしめていたのでした。
本来であれば、繁忙期前、私が自分のプロジェクトで先手を打っていた時、先輩がたにも一言声かけておくべきでした。また、先輩がたが繁忙期に遅くまで働いていた時、毎日一時間だけでもサポートをしてあげるべきでした。繁忙期の3、4か月の間、20代の青年が夜9時、10時まで働いたからと言って、大したことはありません。それよりも、自分の時間を先輩に一時間分ければ、彼女らが少し早く家に帰ることが出来るようになったはずです。彼女らの負担を減らし、お互いの信頼感を高めることが出来たかもしれません。
私は、自分が楽に働くこと、そして自分の方が仕事が出来ると誇示することを優先し、先輩がたやその周りの人たちのことを十分に考えませんでした。私はおそらく優秀な社員だったとは思いますが、周りの人からは、頭の中の算盤が透けて見えていたことでしょう。
真のリーダーとは、自分の損得勘定や体裁で行動する人ではなく、周りの人が困っていると思えば、例え痛みを伴ったとしても、自ら飛び込んでいける勇気を持つ人のことです。そういった気概が無い人がリーダーを務める組織は、かわいそうな組織だとすら感じます。前職で私がリーダーで無かったのは、私にそれだけの覚悟や勇気もなく、自分の損得勘定を優先して動いていたからです。
私が尊敬する方が「誰しも本当は大きな器を持っているんだよ。ただ、その器を大きく使うか、小さく使うかの違いだけなんだよ。」と仰ったことがあります。まさに、私は自分のなけなしの器を、更に小さく使っていたのでした。
あれから20年近くたち、私は現在、フルタイム、パートタイム合わせて二十数名ほどの小さな会計事務所を営んでいます。社員数は少ないとは言え、本当に人柄がよく、能力も高い人たちばかりです。この魅力的な社員に気持ちよく働いてもらい、会社を成長に導くには、私自身がリーダーたる覚悟を持っていなければなりません。リーダーシップとは、ある瞬間に発揮すれば良いというものではありません。リーダーである以上、その組織のためにいつでも身を投げ打つ覚悟が必要です。そして組織のトップである社長という仕事は、その会社全体のリーダーであるということを、人生を賭けて証明していかなければならない仕事なのだと、今は気づくようになりました。
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