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Deliver the best possible performance in the given circumstance - 与えられた環境の中で最大のパフォーマンスを発揮する


前回のコラムを書いた後、ある方が松下幸之助さんの話をされました。ご存じの方も多いと思いますが、幸之助さんは、実家が破産し、10歳から丁稚奉公を始めたため、小学校すら卒業出来なかったそうです。大阪の船場で、向こう三軒両隣はみな商売人。幼い幸之助さんの朝の日課は、早起きをして、船場の向こう三軒両隣の庭先を掃除をし、水を撒くことだったそうです。すると、隣のうちも早く起きて来て、こちらの店の前を掃除してくれる。幸之助さんは、それに負けないようにと、さらに早く起きて庭先を掃除するようになる。すると、後から起きて来た両隣の奉公人は、「いつもありがとう」と礼を言ってくれる。そのようなことを満十歳の時から5年間続け、庭先の掃除という地味な作業を、両隣までやってあげて感謝される、そんな所から、商売のコツをつかんだ、とのことです。


自分を振り返ると、私は20代から30代の前半までは、明確なキャリアビジョンはありませんでした。と言うか、何度も何度も、会計士を辞めようとさえ思っていました。スタッフには、「僕は人生で、100回は会計士を辞めようと思ったことがある。」と話しています。地味で単調、法律や基準にガチガチに縛られて身動きの取れない仕事=会計、と思い込んでいました。それだったら、そこそこの仕事をして、後は趣味に時間を費やそう、と思い、そこまで仕事に打ち込まず、趣味のスポーツに大きな時間を使った時期がありました。それはそれで、一つの生き方だと思うのですが、自分の能力を100%発揮していないことを、どこかで自覚しながら生きていました。自覚はしていましたが、仕事の意義すら、分かっていなかったのです。そんな時、一人の素晴らしい上司に巡り合いました。私が入社3年目の時だったと思います。私に仕事の基本を教えてくれただけでは無く、仕事の意義、人生の意義についても良く話して頂きました。米国会計事務所の、あまりにも数字とパフォーマンスでがんじがらめにする環境に疑念を抱き、「お客様が、自分の会社を会計を通じて分かるようになるお手伝いをせなあかんで。」とか、「上司は部下が立派な仕事をするために、頑張るものやろ。」とか、技術論だけでなく、人の役に立つとはどういうことなのか、ということを教えてくれました。彼とは良くお仕事を一緒にさせて頂いたのですが、何しろ、私もまだ入社3年~5年程度のことです。技術的にも、人間的にも、非常に未熟でしたが、彼の仕事の時には、少なくとも誠実に仕事をしました。真面目に誠実に仕事をした後は、例え夜遅くなった時でも、どこかスッキリとした気分で家路につくことが出来ました。そしてそういう時には良い評価をもらうことが出来て、さらに嬉しかったものです。それが、キャリアのどこにつながるとか、将来どうなるとか、分かっていませんでしたが、私の仕事でお客様や先輩に迷惑を掛けることは無いようにしなければ、という責任感だけは持っていました。きっと先輩は、「高野くんは、まだまだ未熟だけど、教えてあげれば、誠実に応えてくれる奴だ。」くらいには思ってくれていたのでは無いかと思います。その後、私はシアトルに引っ越し、先輩は日本へ帰任しましたが、毎年、折に触れ連絡を取らせて頂いていました。


3年ほど前、弊社の売上が大きく下がることが確定していました。大手のお客様が米国を撤退されて、そのお仕事が無くなってしまったのです。これは困ったことだ…と悩んでいたのですが、そんな時に助け船を出してくれたのが、実はその先輩でした。起業をしてから10年、先輩と最後に働いてから、13年経った頃、何の因果か、その先輩もまた、ロサンゼルスに赴任されたのです。そして、私が困っていた時に、立派なお客様の経営管理のお仕事をご紹介頂き、そのお陰で、その年に赤字に陥るようなことにはなりませんでした。本当に奇跡的なタイミングで、私が困った時に限って、その方が帰って来られたのです。何しろ、最後に働いてから13年が経過していますから、私の今の実力を彼が知る由も無かったと思います。しかし、「高野くんであれば、きっと誠実に仕事をしてくれるに違いない。」と思ってくれたからこそ、大事なお客様をご紹介頂いたのでは無いでしょうか。

20代の頃、何時か先輩にお客様を紹介して頂くことになろうなど、考えたこともありませんでした。ただ、当時の自分の能力の中で、一生懸命に仕事をしました。当時、良い評価を得たとして、次の年の昇給の差は、2、3%程度だったと思います。その程度の差であれば、適当に仕事をしておいて、余暇を自分の好きに過ごす、という考え方もあったかも知れません。しかし、その時に私が自分の能力の最大限で仕事をしなければ、困った時に、先輩は助けの手を差し伸べてくれなかったことでしょう。一生懸命誠実に仕事をする、ということは、それだけの年月を超える価値があるのです。


幸之助さんにしても、同じことだったと思います。両隣の丁稚さんよりも早く起きて掃除をする、そこから世界の松下になるなど、考えたことも無かったでしょう。しかし、十代の子供が出来る、最高の仕事をすることで、周りに感謝され、それが次第に自分の成長へと結びついて行ったのです。私は、お恥ずかしながら、若い頃は手を抜いて仕事をしたことがたくさんあります。そして私の手抜きの仕事を見た方々は、きっと今も私に声をかけてくれないでしょう。10歳の頃から誠実に仕事をすることを怠らなかった幸之助さん、時折サボることのあった私。今も痛烈に反省する所ですが、手を抜いたことは、結局自分に返ってくるのです。そして、一生懸命仕事をした結果も、長い時を経れば、やはり何倍にもなって自分に返ってくるのです。この先輩との仕事の話は、今もスタッフに良く話します。それは、一年程度を見て、帳尻が合わないと不満を持つのではなく、例え将来のビジョンが見えないような状況でさえ、最高の仕事をするような人間であって欲しいからです。弊社の座標軸に、「与えられた環境の中で最大のパフォーマンスを発揮する – Deliver the best possible performance in the given circumstance」があります。これは、与えられた環境、与えられた能力の限り、仕事をすることが、お客様のためになり、会社のためになり、社会のためになり、まわりまわって最後に自分に返ってくる、それを若いスタッフに伝えたい、という思いがあるからです。


私は今は、人生で一番長い時間を働いています。しかし、人生で一番ストレスの少ない時期を過ごしています。それは、私が社員のために良い会社を作ろうと本気で思い、本気で働いているからです。経営に本気になるのが遅すぎましたが、しかし社員たちも、少しずつこの会社の良さを理解してくれるようになっている気がします。20代の頃に先輩が教えてくれた「上司は、部下のために頑張るものやろ。」を始めとして、正しい哲学に基づいて、社員たちが本当に働いて良かった、と思える会社を作るために努力をする、そこに迷いが無いからです。今思えば、私が独立をしたのも、そんな理想像を追いかけるのも、先輩の影響を大きく受けている気がします。本当に、立派な会社を作り、皆様に貢献するために、これからも努力していきます。どうぞよろしくお願いします。